年輪という現象がある。年輪という言葉がある。樹木の年々における成長のあとを示すことから転じ、人物について「発展・成長の積み重ね」を「年輪を重ねる」のように表現して用いるようになった。「年輪を刻んだ掌」のように用いられることもあるようだ。私は、この年輪という言葉を団体にもあてはめて考えたいと思う。
米沢生活協同組合という団体が発足してから第40年(法人は翌年に成立)になる。人間の世界になぞらえてみれば、二世代にも及ぼうという長さである。世の変化が急速かつ激しい近代であるから、二世代近くの年月を経て当生協に変化がないということはない。解散を決めた事もあったし、立ち直りに転じたこともあった。取り扱い品について大転換したこともあった。構成員の顔ぶれが代わることも長い年月の間には当然ある。それらを事実として柔軟にうけとめて、策を練る。衆議を尽くして。
年輪の幅は一定ではない。外界の影響を受けて大小あるという。団体の消長もそうであろう。が、団体の構成員がそれにかまけて求心力の養成を怠ったならどうなるか。40年を機会に、お互い考えを深めそして行動しよう。 |